春√の駄文倉庫

駄文置き場

ここまで

 何の縛りもテーマもなく文章を置いておく場所がないなとブログを作ってみたはいいものの多分fc2とかでも似たようなブログを作った記憶があったり結局のところ三日坊主だなとはてなでもブログを設立した。

 ツイッターじゃ文字数制限はあるしピクシブは小説置場だしと考えたら自由にただタイピングできる場所がないなと気づいたのと、いい加減人生の折り返し地点にたどり着いたのでそろそろ遺書代わりに過去を振り返る機会を作ってもいいのかなと考えた。

 

 

 

 自分自身がこんなオタク文化にどっぷり浸かりオタク文化の浸透率がアクエリアス以上の肉体になってしまったのは何がきっかけかなと思い返すと、生活環境にあったように思う。家には漫画を含む本がそこかしこにあって、兄はスーファミからプレステ2、xobxとひたすらにゲームに嵌っていたしそれを横で座って見るのが俺の楽しみでもあったと記憶してる。一番感動したのはこっそり兄貴の鞄を漁った時にプレイしたモンスターハンターポータブルだった。

スリープ状態を解除してみれば何故かクエスト中で、森丘の、基本的なステージの敵が居ない場所から始まってゲーム機の中に広がる擬似的な自然にえらく感動した覚えがあるし、でっかい蚊のようなモンスターに死ぬほどビビって電源を落とした記憶もある。

 一番古い記憶にあるアニメは忍たま乱太郎とかおじゃる丸とかNHK教育のアニメだった。忍たまに関しては何故か原作もあったので漫画と合わせて楽しんでいた。毎週毎週テレビにかじりついてハッチポッチステーションから始まって、忍たまおじゃる丸天才てれびくんというのが小学生の時の黄金パターンだったと思う。土井先生とかかっけーなーとかちっちゃいものクラブとかグッチ裕三とかもうよく分かんない感性をそこで磨いた。だけど未だにグッチ裕三が子供向け番組でレッド・ツェッペリンとかQueenの歌を童謡に変えて歌っていたのは、今思うとよく企画できたなと感心するし子供の時よりも今のほうが恐らくハマってしまうなと感じた。

 そんなこんなでアニメ文化に馴染んでいた俺が最初にハマったのはパタリロという漫画だった。アニメもあったし漫画も今も連載してんのかな。内容を記憶から簡潔に整理すると潰れたまんじゅうみたいな主人公とその周囲のイケメンな登場人物がなんやかんやするギャグだったりシリアスだったりよくわからない漫画だ。人造人間の話は好きだった。で、親の部屋から漫画を漁るように読みふけっていた俺が読んだ漫画は萩尾望都が大体だったと思う。男と男がセックスしてたり11人いたり、憎らしいおじさんに性的いたずらされてることを恨んでか車に仕掛けをして殺そうとしたりしていた気がする。要するにBLものに近く、性に対しての認識が生まれたのがこの辺だった。

 この頃に兄の部屋を漁っていた時もありその時は女神転生だとかスパロボの攻略本の他に漫画を見つけた。シスタープリンセスの薄い本とかギャグのアンソロとかだ。恐らくこの影響が一番強く、男女、というかシスコンなんだけどそういう文化におもいっきり触れたことで男と女はそういうものなのかと理解した。話はそれるけど今でも12人位妹欲しいなとか思いますね。で、時系列的にはこの少し後なんですけどまた兄の部屋から全日本妹選手権なる漫画を見つけてよくわからないけどえっちだったので読んでました。その漫画の一コマで主人公の兄がオナニーしてるところがあってそこで、なるほど男と女がいなくとも一人で性を自己完結させられるのだと知りました。そこからはもう猿でした。同時期に小学校のパソコンの授業でおもらしで調べてる友人が居てエロサイトの存在もしりました。

 多分書くと下手な小説より長い小学校の思い出になるので大分はしょりますけど、小学生で覚えたことは性の知識とフラッシュという存在、2ちゃんねるの文化でした。

 こんなブログを読む時間を持て余した神々以上に暇な人間が存在するかは素粒子の検出ぐらいに怪しいものですが重力波の発見もあったことなので、簡単に今時フラッシュは知らない人もいるだろうなと思うので説明すると立ち位置としては今のニコニコ動画のポジションに近いかなと思います。フラッシュアニメを駆使して色んな物がネットには存在してました。棒人間が戦う中国のよく分かんないやつとか2ちゃんのギコとかしぃが厨二前回のバトルをしたり、戦隊物のバトルができたりバンプオブチキンの曲を使った八頭身のフラッシュが大量にあったり、まぁなんでもありのアニメーションです。そしてフラッシュから2ちゃんねるの存在を知って、訳もわからぬまま入り浸っていたと思います。ニュース速報とかそんなとこだったかな。その頃に一番覚えてる話はやっぱりNEVADAたんなる事件ですかね。当時の自分たちと変わらない年齢の小学生女子が同級生の首をカッターナイフで切ったという事件です。この時一番ショッキングだったことがあるのですが、当時の自分は恐らくこういう話をニュースで見たら「うはーこえー」とか「リアルであんのかよ」って感想を抱くぐらいなんですけど、2ちゃんねるでは「うはwwww被害者可愛いwwwwNEVADAたんwwwww」とかいって加害者を神格化というか萌えキャラ扱いしようとしてたり加害者の名前が特徴的だったことと容姿が比較して残念だったことなどもあって余計に神格化が加速したり、そういうことがあってこの流れを見た自分はまず第一に「ネットってこういうこともあるのか」と現実との違いに大きく驚いた、記憶があります。

 と、こんな感じでネットの特異性、いわゆる便所の落書きというレベルのやり取りにであったのがある種今の自分を形成してる部分はあると思います。中学上がる頃には定住する板も決まっててVIPなんかでよく糞スレ立てて10レス行かずに落ちて楽しんだり、パートスレなんかの存在を知ってAA雑談したり、実況板のポルノグラフィティ垂れ流しスレとかに入り浸っていたことは覚えてます。

 この頃から今も続いてるのは多分幽体離脱にハマって何度も挑戦して特訓はしているけども未だ一度もろくに成功していないことですかね。センスある人はすぐできると思います。

 

 この辺まで割りと適当にだらだらと書き続けてきたけど言いたいことをまとめると小学生ぐらいの時に自分のノートパソコンを与えられた結果ネットにどっぷりはまってオタク文化にもハマったどうしようもなく使えない中学生が完成したということです。ちなみに小学校の時は一人の女子にひたすら暴力振るわれてたことがありました。あのデブは一生ゆるさねえ。

 

 高校に関して言えば非常に恵まれた環境であったなあ、と思います。部活に入ったはいいが同じ学年の男が一人しかおらず仲が良くなってから話をしてみればガノタだったり、そいつ経由で帰宅部と繋がりができて気づけば全員オタクだったり、でも俺以外ほとんど彼女持ちであることに卒業後に気づいたりしました。ちょうどけいおんとかの時期だったと思います。僕は進められたDTBを見て契約者を夢見てましたけど友人はけいおんやりたがってました。担任もこれまた理解のある教師でなぜ高校では水泳の授業が無いのかと抗議した所、お前らが授業になんねえからだ、と返されてえらく納得しました。たってんのに立てないはめになりますしね。若くして亡くなっちゃいましたけど遊んでて雪に落とした英語の辞書を交換してくれたり、シモネタに理解があって話しやすかったりと本当にいい先生だったと心から思います。上京する前に墓参りしときます。

 

 大学に入ってからはオタクはやはり秘すべきものだなあと改めて感じたので隠れオタクとして生きて、精々が同期のオタクばれしてる奴と喫煙所でメタルとアニメとタバコの話をしてた程度で半分真面目に大学生してました。

 

ざっと駆け足で振り返るとこんな感じになりますね。暇なんで別記事で文字に対しての俺の感覚をまとめときます。